ボランティア③+最近思う事

2週間のボランティアを終えてベルギーに帰国しました。ベルギー生活に慣れてしまったのか、帰ってきた時は何かホッとしました。今回はボランティアに関するブログの最終回です。実際に全ての日程を終えて学んだこと、そして最近の出来事に関して書いていきたいと思います。

 

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アテネの夜景

まず終えて思ったのが、あっという間だったという事。限られた時間であったとは言え本当に短かったです。しかしその分かなり集中して取り組むことが出来ました。

 

まずはメインで行っていた活動について。私は今回ボランティアをした団体のCFSというチームに所属していました。CFSとはChild Friendly Spaceの略。具体的には、英語や数学、創作活動など様々なことを通して子供達に教育やレクリエーションの機会を与えています。人生で初めてのボランティアだった事もあり、慣れない事の連続でした。1日の多くの時間を机から離れて子供達と過ごしました。子供と触れあうのが大好きだったとはいえ、元気いっぱいでかつ言語をあまり話すことができない子供達とコミュニケーションを取るのは本当に大変でした(学校の先生ってすごい.....)。ボランティア前には、それぞれの子供にあった機会を提供するなんて言ってましたが、終えて感じたのはとても2週間では貢献できなかったという事。子供達の考えを理解し、彼らのバックグラウンドに注意した上で教えることに必死で、とても新しいプログラムを実行するまでには至りませんでした。そしてだんだんと信頼してきてくれていた生徒達を置いてこんな短い時間で去るのは教育上良くないし、子供たちを裏切ってしまったという気持ちがありました。子供達の中にはギリシャ語や英語について行けずにドロップアウトしたり、紛争から逃れてきて十分な教育を受けていない子が多く居ます。そして彼らはそういったトラウマを心の中に抱えています。本来先生は長い時間をかけて生徒に寄り添ってあげるべきです。だからこそ2週間で去ってしまうのはとても罪悪感を感じ、彼らに社会への不満や人への不信感を植え付けてしまったのではないかと思いました。できる限り彼らのサポートをしましたが、最終的には彼らにいち早く一般の学校に通ってもらいたいです。なぜならそれが彼らにとって1番だと思うからです。これからギリシャや他の国の社会に適応して生活していくためにはまずは学校に通って他の地元の子供達と関わりを持つことが本当に重要です。そしてそれが移民・難民の社会統合につながっていきます。少ししか関わることが出来ませんでしたが、彼らの無邪気な笑顔を忘れることはありません。大きく成長してくれると信じていますし、何人か連絡先がある子もいるので将来大きくなった時にまた会いたいです。

 

メインの活動と並行して、彼らの両親とも話をしました。前の投稿でも書きましたが、親たちの中には壮絶な経験をして祖国から逃れてきた人が少なくありません。シリアやアフガニスタンパレスチナからの難民、トルコからの政治難民、イランやDRCからの移民など様々な国からギリシャへと逃げてきたり移り住んだりした人達がいます。昨今の国境審査の厳格化や彼らに対する風当たりの強まりを受け、ギリシャから動けずにいる人が本当に多く居ました。特に衝撃的だったのはアフガニスタンから来た女性の話。彼女は6ヵ国語を話すことができ、アフガニスタンではドイツ語を教えていました。しかし男性と恋愛をし、それが周囲にあらわになり差別を受けました。アフガニスタンでは若い男女の交際はほとんど認められていないそうです。いわゆるお見合いでしか結婚が出来ないのです。しかし彼女は周囲の反対を押し切って交際を続けたため、それを気に食わない周囲が差別を始めました。それに耐えられなくなり、また良い仕事の機会も得られなかったためギリシャに移住してきました。彼女は、イスラム圏における女性差別や結婚観は本当に問題だと言っていました。イスラム教徒であるが、女性としてそういった点には非常に疑問を感じるし、それをそのまま受容している社会に憤りを感じると語っていました。一緒に議論していたイランから来たボランティアの同僚も、イランにも似たような状況を持つ地域があると語っていました。ネットをみたり勉強をしているだけでは知り得ない事が毎日の様に自分の耳に入ってきて、衝撃でありかつそういった辛い過去を聞いて胸が痛くなりました。そしてトラウマであるかも知れないのに、正直に話してくれた事にも驚きでした。周りに話すことで祖国では今このような事が起こっているんだと伝えたかった人が多かったと感じます。

 

あとこれはアテネに居て思った事。よくアテネは治安が悪い(ここでいう治安悪いとは、スリや強引な物売りが比較的多い、又は麻薬密売が普通に周りに見える所で行われている、とします)と言われているみたいですが、確かに他都市と比べればそうでしょう。しかし実際に滞在して全く危険な目に遭った事は無かったです。それはお前がそういう目に遭った事がないからやろと言われます。まあそれはごもっともなんですが、私は毎回身の回りにはしっかりと注意を払っています。周りの人を見ているとあまり警戒していない人がちらほら。強引な物売りなど無視するのが普通。自分の不注意からそういう目に遭ったのにそれでここは治安悪いとかぐちぐち言っている人を見ると呆れます。そしてそういった事がインターネット上で広がり、その国もしくは都市が風評被害を受けるだけです。もし自分がこれからスリなどに遭えばそりゃ落ち込みますが、自分の不注意だな、で終わり。もちろん盗んだ側も悪いですが、注意を怠った自分にも大いに非があるでしょう。大都市や有名な観光地なんてどこも治安が悪いです(極論)。パリもロンドンもそう。日本で言うならば東京や大阪がその類いに入るかもしれません。強盗や発砲事件がよく起きるとか、テロが頻発しているとか、それは本当に危ないと言えます。しかし、自分自身の注意だけで守れるような犯罪が多いだけで絶対的にそう判断しないで頂きたい。

 

そしてここでもう一つ言いたいことがあります。ツイッターやインスタグラムにも載せたのですが、それはこの度のノートルダム大聖堂での火災の事。これに関する事で強い疑念や怒りの様なものを覚えたのでこの場を借りて書かせて頂きたいです。4月15日、フランスはパリのノートルダム大聖堂が火災に見舞われ、屋根や尖塔が焼け落ちました。この時、多くのテレビやSNSでは大聖堂が燃えている動画が拡散され、世界は衝撃に包まれました。私はここに疑問を抱いたのです。アフリカ南部で起きたサイクロンの事も、シリアやイエメンなどでの内戦にもほとんど反応しなかった人達が、いきなり今回の件には強い反応を示してSNSで騒いでいました。正直、え?と思いました。確かに大聖堂はゴシックと呼ばれる建築様式の起源であって、当時の最高技術が結集されて作られ、幾度もの災難にも負けることなく歴史の中でフランスのシンボルとなってきました。フランス国民が大きく失望するのは分かります。しかしそうではない多くの人々が異常なまでに反応するのは甚だ不思議でなりませんでした。そしてその再建のために多額の寄付が集まっています。価値の喪失は悲しむべき事ですが、大金をかけて現代の技術を用いて完全再現した所でそういった歴史の重みから来る重要性は取り戻せないし、ただの観光名所となるだけです。正直多額の寄付をした人達は、大きな話題となっている事に寄付をすることで名声を求めているだけではないのかと思ってしまいました。ただの観光名所となってしまうくらいなら、火災がおきた事も歴史として語り継いでいって欲しいです。具体的に言うと、最低限の安全対策だけして完全再建などせずにありのままの状態で保存してほしいという事。また、こういった事には寄付が集まるのに内戦やテロなどで本当に苦しんでいる人達の元にそういった寄付が集まらないのは本当に悲しいです。最近はスリランカで大きなテロが起き、多くの人が亡くなりました。しかしグーグルの検索結果によると、「ノートルダム」という言葉が「スリランカ」という言葉の約5倍から9倍検索されていたそうです。ほんとに皮肉なもんだなと思いました。同じキリスト教に関する出来事であるのにこうも違います。最近はこういった風潮に怒りさえ感じてきました。イエメンやシリアでの内戦、アフリカ北部での政変、南部のサイクロン被害、DRCでの武装勢力の乱立、ヨーロッパへの難民流入問題、ベネズエラでの政情、未だ続くフランスのイエローベスト運動などもっと注目されるべき話題は多くあります。自ら世界の色んな所に目を向けて欲しい。そう願うばかりです。

 

最後に。今回ギリシャという国でボランティアをして、あまり自分自身貢献できなかった悔しい思いもありますが、微力ながらも何人かに自分のサポートを喜んでもらえて本当に嬉しかったです。また何年もの経験を持った同僚達と一緒に働き、様々なことを教えてもらいました。どうやって難民達の心に寄り添っていくか。周りの子供達よりも注意散漫な生徒とどう向き合うか。などなど。色んな仕事をしながら、大変なはずなのにそれでも人を助けたい。考えの軸はぶれていなかったです。誰も見捨てる事はない、と皆強い信念を持ってやっていました。そして同時に全く努力や勉強が今の自分には足りていないと思いました。週2回のミーティングで、話が発展して現実に起きている紛争や難民の問題などと結びられて議論が発展した時、とてもその会話について行けませんでした。英語力の問題もありますが、圧倒的にインプットが足りていません。残り少ない留学においても、日本に帰国してからもしっかり勉強は継続しなければならないと強く思いました。言語においてもそうです。移民や難民には英語を話せない人が多く居ます。だからこそ彼らの言語で対話することで彼らの本当の悩みなどが聞き出せます。そういった理由から英語以外の言語の重要性を強く感じました。今回の例で言うと、トルコ語アラビア語ペルシャ語などが挙げられます。

 

今回休暇を用いてボランティアをし、少しですが移民・難民の力になれました。そして留学前期が終わり、正直少したるんでいた自分に発破をかける事が出来たと思います。

 

長文読んで頂きありがとうございました。